泣いて馬謖を斬る

「大事な人材失った」 石原都知事
c0024167_15142327.jpg東京都の浜渦武生副知事が更迭された。浜渦さんて関西大学卒、私の先輩だったんだ。江本孟紀氏が大阪知事選に立候補した時に副知事に浜渦さんを招聘すると公約していた。結局エモやん落選して浜渦大阪府副知事は実現しなかったが、このとき当選していたら、「泣いて馬謖を切る」ではなくて「三顧の礼」になったわけだ。良い悪いは別にして大阪はもちろん東京も変っただろう。

ところで、馬謖が斬られたのは、諸葛亮の軍略にそむいたからだ。
第一次北伐の際、諸葛亮は馬謖に補給路の急所、街亭守備を命じた。諸葛亮は道筋を固めるように命じるが、馬謖は現場判断で山頂に陣を敷いてしまった。結局、敵に山腹を包囲され、水路を断たれてしまい、全軍の惨敗を喫すこととなった。敗戦の責任を取って諸葛亮は馬謖を斬刑として、軍律をしめした。
まあ、私が改めて言うまでもない、超有名なエピソードである。

しかし、戦場にあっては臨機応変、相手の出方を確認しての作戦変更はあるものである。諸葛亮の処罰は厳しすぎるように、私には思える。まあ、それはさておき、馬謖を登用した責任を諸葛亮もとっている。自ら丞相から右将軍に降格と言う人事を行っているのだ。
『泣いて馬謖を切る』というのが正確に使われているなら、部下(副知事)に罪ありと認めたことになる。そして故事の通りに自らにも相応の処罰を科すべきあろう。知事自身が辞任する必要まではないだろうが・・・。「人事を一新することが事態を収拾する最大の責任の履行」などと嘯いているどころではいない。
by garyoan | 2005-06-04 15:18 | 今を生きる三国志
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