モルモンの投機的宗教生活

c0024167_10253178.jpg最近お金に関する本を読んでいる。「金融広告を読め」(吉本佳生)と「お金がふえるシンプルな考え方(マネーのルール24)(山崎元)」の2冊を読んだが、面白かった。この世の中、経済的な意味だけでなく「リスクとリターン」からものごとをを考えると言うのは大切だと思えた。
そこ考え方によれば、モルモン教徒の生活は大変投機的なものである。死後の「永遠の生命」(モルモン教ではこれを、『男は神になり、女は神の妻たちのひとりになること』とする。普通に復活して二度と死なくなるのは不死不滅と分けて使う)目指してモルモン教徒は生きている。
そのため何をするのか?
教団の戒律を守る。タバコを吸わず、酒やお茶を飲まないというのは序の口で、毎週日曜日には教会に出席して、平日も教団の為に奉仕する。少なくとも収入の10%を献金する。定期的に神殿に行ってオカルティックな儀式を受ける。そこで「生きてる限り忠実でいます」と命を賭けて誓約する。そんな生活が延々と続く。
全て、自分が死後に住む世界を良くするためだ。多額の死亡保険金を自分が受け取るために膨大な掛け金を支払っているようなものだ。

尤も信仰、信心に生きることは悪いことではない。死後の世界がより良いものであって欲しいとの期待(スケベ心)があってもそれはそれで良いと思う。普通の宗教、信心であれば、生き方自体が現世の自分を豊かにするからだ。言い換えれば、支払った掛け金のリターンを生きているうちに受けることが出来るわけだ。そして、この現世の幸福というリターンが大きいのである。
ところが、モルモン教(その他カルト全般もだが)には、普通の宗教ような日々の豊かさというリターンが乏しい。あっても掛ける分に全く見合わない。教団の活動への参加て、経済的負担に日々追われるのみである。それでも最初はそれを充実感と勘違いできる。しかし、充実感が疲労に変わり始めると、同時に悲劇の始まりでもある。
やめたくてもやめれない。ずっと支払った来たものが多いので抜けれないのだ。信仰自体が不良債権化してしまうのだ。

常識を駆使して判断してみよう。
死後の世界がモルモン教の想定したものでなかったらどうする。死後の世界自体もない可能性も高い。モルモンでいて、生涯モルモン信仰に対して時間と金銭を投資することはあまりにも危険である。ずっと他の宗教の方が有利である。
しかし、モルモン教は言う。
「他の宗教は全て間違っているのであって、必ず破綻する。モルモンに投資するしかないのだ」と。こうした理屈自体が既に常識の範囲外であろう。
by garyoan | 2005-06-19 10:32 | モルモン教
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