(いそのかみふるのかむすぎかむぶてこいをもわれはさらにするかも) 柿本人麻呂歌集 若い頃はこれを本当に切ない想いを持って読んでいた事を思い出す。思い出せば、その頃(高校生の頃)から石上神宮にいつか行こうと思っていた。 万葉集を全く自分の世界で読んでいた。この歌の恋はまさに青春の恋であった。 私がイメージしたのは、傷心旅行でふと訪れた石上神社、そこで見た杉古木の美しさに心を打たれた作者が、よりいっそう恋人への想いを募らせるというものだった。 しかし、実際はこの歌の意味はもっとシンプルなものだ。 「石上の神社にあるご神木。それくらい老いてしまった。そんな私がまた恋をしてしまった」 というもの。何かの作業をしながら、軽妙に唄われたものなのだ。 「オジンになっても歳甲斐もなく、若い女性に目じりを下げる」そんな男の本性をからかった、歌謡なのだ。 若い頃、アララギ派の影響を受けて、万葉集を現代人のこころで読み癖があった私には、歴史的な分析や民俗学的な分析から万葉集が解釈されるのがイヤだった。しかし、段々と人生経験を重ねるうちに、こうした解釈が自然なものだと思えるようになって来た。 今、石上布留にやって来て、この歌を再び読み返して見ると、若い頃の感性が懐かしい。また、万葉人の歌の背景も心に浮かぶ。 なによりも、自分自身がこの歌に唄われてる対象であるおっさんになってしまった。 芸術はやはり永遠であろう。そして、永遠たらしめるためにも、自然や文化財を正しく伝える義務が私たちにはある。
by garyoan
| 2005-09-02 00:56
| 奇譚異譚歴史譚
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