三輪山をしかも隠すか

三輪山といえば余りにも有名な額田王の歌。

長歌から読んで見たい。

味酒(うまさけ)三輪の山 あをによし奈良の山 山のまにい隠(かく)るまで 道の隈(くま) い積もるまでに つばらにも見つつ行かむを しばしばも 見放(みさ)けむ山を 心なく雲の隠(かく)さふべしや
 (三輪山よ、奈良の山の端に隠れてしまうまで、道の曲がり角がいくつも重なりまでとっくりと眺めて行こうものを、何度でも振り返り見はらしたい山なのに、それを雲が隠したりして言いものだろか。)

反歌が

三輪山を しかも隠すか 雲だにも 情こころあらなも 隠さふべしや
(三輪山をこんなにも隠してしまうことよ、雲だけでも、思いやりの心があって欲しいものよ 隠してよいものではない)

この歌は天智天皇が明日香からいきなり近江に遷都を敢行した時の歌と言われている。天皇以下、額田王を含む皇族、百官が厳粛に道を進んだのである。当然、その地に残る神には丁重な礼拝が行われたであろう。
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ところが、歌碑は三輪山山麓に立つが、長歌を読めば明らかなように、歌はもっと北に離れた奈良山(平城山)で詠まれたものだ。明日香を離れ三輪山の麓を山の辺の道を行き、奈良を抜けようとした時の歌である。
奈良山は奈良を離れるポイントである。古来、ここで人は道祖神に旅の無事を祈念することになっていた。三輪山は神聖な山であり、大倭を象徴する神なのである。天皇家はそれを祀らなければならない。遷都を行えば、以前のような祀りできなくなるだろう。三輪山が遷都の一行から見えなくなるということはまさに神との別れと言う重大事なのである。
一行が奈良山にいた時、最後に見晴らす三輪山に雲がかかった。これは何らかの神意とおもわれた。もし、不興を買っているのであるなら、それを取り除かねばならない。改めて慇懃に惜別の思いを告げなければならない。そこで宮廷歌人の第一人者の額田王が呼び出されて歌を詠むことになったわけだ。額田王の歌は単にセンチメンタルな旅情を詠ったものではない。神のこころを沈める一種呪術的な歌なのである。

額田王は当時は天智天皇の妻であったので、天智に代わって歌を詠んだのであろう。彼女については弟である天武天皇との三角関係などスキャンダラスに伝えられるが、実際はどうであろう。彼女は皇族であり、優れた歌人であった。それは古代においてはシャーマン的な立場であり、大王の妻として側に仕える必要があったのではないだろうか。額田王はそうした事情で兄弟の大王に嫁いだのではないのだろうか。

しかし、額田王の歌は単なる儀礼歌を超える芸術性を持つ。三輪山への惜別の情は現代の私たちの故郷、友人、家族らとのへの想いと共鳴する。万葉時代の状況を知らなくても深い感動があるのである。
by garyoan | 2005-09-05 00:07 | 奇譚異譚歴史譚
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