みちのくイエス

c0024167_2053673.jpg以下は4/16発行の「勇気と真実の会 会報」の巻頭言として書いたもの。
転載する。

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 青森県新郷村をご存知だろうか。イエス・キリストの墓があることで有名だ。伝説ではコルゴダの丘で死んだのは実はイエスの弟であって、本物のイエスはエルサレムを脱出し、この村で余生を全うしたと言うのだ。村ではイエスを偲んで毎6月には「イエス・キリスト慰霊祭」が行われ、神官が墓の十字架に向かって祝詞を上げ、その後村人が十字架を回って盆踊りをすると言う。
 敬虔で厳格なキリスト教徒からすれば、なんともとんでもない激怒ものの話しで、抗議殺到ではないかと思いきやそうでもないようだ。もちろん、村の方々もイエスが村で死んだとは本気で信じてはいない。ただ、墓(らしきもの)があるのは事実であって、そこに眠っている人がいるならそれを祀るのは当然だと思っている。たまたまその墓のがイエス・キリストのものと言う伝説があったと言うことに過ぎないという。こうしたおおらかさがこの伝説を許してしまって
いるのだろう。
 ところで、イエス・キリスト出現のやエルサレム脱出などの話しはモルモン書にも記載されている。あれこれしかつめらしい理由をつけているが、客観的にみれば、モルモン書の内容など「みちのくイエス」と同類だ。むしろ、御用学者を動員しもっともらしい言い訳をしている点ではもって始末が悪い。その上、モルモン教ではモルモン書に書かれたことは真実と信じないといけない。そして、それを受け入れるないと救われないし、受け入れれば選民意識も共有できる。
 信教は自由である。何を信じようとどんな祭儀を行おうと自由である。それ自体は人から見て「けったいなもの」であっても抑制することは出来ない。しかし、その教えを受け入れないと救済されない、などと言い出すと危険だ。既にカルトの入口だ。これは断固、糾弾されるべきだ。
 新郷村のみちのくイエスの伝説とモルモン教、ばかばかしさは甲乙つけがたい。しかし、「みちのくイエス」の方がはるかに健全である。そして、イエス・キリストの精神に近い。
by garyoan | 2006-04-17 20:07 | モルモン教
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