2005年 02月 19日 ( 2 )

なぜ、切捨てられるか

 沼野治郎と「金科玉条」という言葉とを糸でつなぐと、そこには高山真知子という人物が引っかかって来る、沼野は高山が自身が主催する研究発表会にも招いて講演させるほどののお気に入りである。それは高山のモルモン研究が優れているからではない。「高山研究がモルモンに好意的であるから」だ。
 高山は継続的にモルモン研究をしているわけでもない。アメリカ宗教史、開拓史の研究家でもない。簡単にいくつかのモルモン研究書を読み、自らの宗教観とすり合わせて論文を書いただけなのだ。(高山はブリガム・ヤングについてもたった一冊の書籍を読んだだけで伝記を書いたと言う)
 さて、元記事では「異端と切り捨てずに云々」を「アメリカ宗教のメインストリームとモルモン教」と言う研究参加記から引いているのだが、モルモン教の歴史を学んだものなら、同所でのモルモン教の歴史認識には『?』がたくさん付く代物だ。特に一夫多妻制をアメリカの家父長制の回復運動という見方とはお笑い種である。
 現役モルモン教徒で、大学で英語の教鞭を取る沼野であれば、高山よりも深い知識を入手することは極めて簡単である。わが国最高のモルモン教研究家高橋弘氏の論文を読み、書籍に書評を寄せる沼野である。こうした不十分、正しくない点はしっかりと認識しているはずだ。しかし、沼野(そして、モルモン教)にとっては非モルモンで好意的な視点を持つものが咽喉から手が出るほど欲しいのである。腹の中では肯定的な考えしか認めないが、表面的には公正であると見せたいのである。
 単にモルモン教徒としての評価を下げるのであれば、好きで信仰しているふりをしているのだから、かまわないであろう。しかし、研究者をかたるのなら、最低限の公正さは身にまとうべきであろう
 また、教団自体に歴史に対する公正さがないから、モルモン教は過去には異端として、現在はカルトとして切り捨てられているのである。
by garyoan | 2005-02-19 23:52 | モルモン教

格調高い文

 最近、岩倉使節団について調べている。と言っても、毎度のモルモン教の歴史を調べる関連でだ。おそらく日本人で初めてユタのソルトレークを訪問し、記録を残したのは岩倉使節団の面々とその公式記録者だろう。彼らの記録には資料としての価値が高い。
 使節団研究書も読んでいる。「岩倉使節団『米欧回覧実記』」(田中彰:岩波現代文庫)だが、大変面白い。本来の目的を忘れて、読みふけってしまっている。
 その中で使節団が出発前の宴席で太政大臣三条実美から受けた送別の辞が紹介されている。

  「外国ノ交際ハ国ノ安危二関シ、使節ノ能否ハ国ノ栄辱(えいじよ
 く)ニ係ル。今ヤ大政維新、海外各国卜並立ヲ図ル時二方(あた
 )リ、使命ヲ絶域万里二奉ズ。外交・内治、前途ノ大業其成其否
 、実ニ此挙ニ在り。豈(あに)大任ニアラズヤ。大使天然ノ英資
 ヲ抱キ、中興ノ元勲タリ。所属諸卿皆国家ノ柱石、而(しこうし
 )テ所率ノ官員、亦是(またこれ)一時ノ俊秀、各欽旨(きんし
 )ヲ奉ジ、同心協力、以テ其職ヲ尽ス。我其(われその)必ズ奏
 功ノ遠カラザルヲ知ル。
 行ケヤ海ニ火輪ヲ転ジ、陸ニ汽車ヲ輾(めぐ)ラシ、万里馳駆(ち
 く)、英名ヲ四方ニ宣揚シ、無恙(つつがなき)帰朝ヲ祈ル。」


 筆者も述べているが、大変格調高い美文である。単に力強く美しいだけでなく、やはり文明開化の持つ、高揚したムードがビビットに伝わって来る。やはり時代が書かせたものなのだろう。
 しかし、比べるまでもないが、昨今のわが国政治家の言葉の貧困なことはなんであろうか。維新ほどではないかもしれないが、時代が逼迫している事は間違いない。なのに、あいもかわらず、いや、いよいよますます言葉が軽くなる。結局は言葉の発し手である政治家の時代認識の差であろう。時代が分かれば、現代政治家も良い文章もひとつが書かせて貰えるだろう。
by garyoan | 2005-02-19 23:02 | 奇譚異譚歴史譚