2005年 06月 04日 ( 3 )

お参りも軽装でどうぞ!

チョコ商戦と同じ-自民 夏軽装、首相躍起だが…
c0024167_21102110.jpg基本的には夏の軽装。特にノータイは賛成である。ノータイは365日そうしたいくらい。まあ、「服装メーカーに踊らされているだけじゃないか」と言うのは悪口の類だと思うが、省エネ、クール・ビズを広めたいなら・・・

小泉さん!靖国神社に短パンTシャツ、サンダルで参拝してはどうか!

「大好きな靖国参拝でそこまでするなら」と国民には一大アピールにはなるだろうし、中韓などアジア諸国も軽装ゆえに非難の矛先も鈍るだろう。

それくらいはやってほしいねえ。

ちなみに政治家があれこれやっても効果は薄いと思う。
こうした時こそ、皇室が国民の象徴としてクール・ビズの模範を示されるのが一番だ。天皇陛下や皇太子がノータイでお出ましになっただけで、どれだけの効果があるか。
これくらいのことは天皇制の政治利用ではないと思うのだが・・・。
by garyoan | 2005-06-04 21:20 | 酔郷から

泣いて馬謖を斬る

「大事な人材失った」 石原都知事
c0024167_15142327.jpg東京都の浜渦武生副知事が更迭された。浜渦さんて関西大学卒、私の先輩だったんだ。江本孟紀氏が大阪知事選に立候補した時に副知事に浜渦さんを招聘すると公約していた。結局エモやん落選して浜渦大阪府副知事は実現しなかったが、このとき当選していたら、「泣いて馬謖を切る」ではなくて「三顧の礼」になったわけだ。良い悪いは別にして大阪はもちろん東京も変っただろう。

ところで、馬謖が斬られたのは、諸葛亮の軍略にそむいたからだ。
第一次北伐の際、諸葛亮は馬謖に補給路の急所、街亭守備を命じた。諸葛亮は道筋を固めるように命じるが、馬謖は現場判断で山頂に陣を敷いてしまった。結局、敵に山腹を包囲され、水路を断たれてしまい、全軍の惨敗を喫すこととなった。敗戦の責任を取って諸葛亮は馬謖を斬刑として、軍律をしめした。
まあ、私が改めて言うまでもない、超有名なエピソードである。

しかし、戦場にあっては臨機応変、相手の出方を確認しての作戦変更はあるものである。諸葛亮の処罰は厳しすぎるように、私には思える。まあ、それはさておき、馬謖を登用した責任を諸葛亮もとっている。自ら丞相から右将軍に降格と言う人事を行っているのだ。
『泣いて馬謖を切る』というのが正確に使われているなら、部下(副知事)に罪ありと認めたことになる。そして故事の通りに自らにも相応の処罰を科すべきあろう。知事自身が辞任する必要まではないだろうが・・・。「人事を一新することが事態を収拾する最大の責任の履行」などと嘯いているどころではいない。
by garyoan | 2005-06-04 15:18 | 今を生きる三国志

リトル比良よれよれ縦走(4)

c0024167_16525066.jpg寒風峠から涼峠までは湿地帯を通る。岩を跳んだり、水溜りを踏んだり、歩く楽しさが戻って来る。しばらく足の疲れも忘れる。(しかし、その付けが後から来るのだが・・・)
涼峠に至る。
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ここからは足の疲れとの勝負。
平日の登山と言うことで、ここまで出会う人はなかったが、鎖場で老カップルが登って来るのに出会う。「昼過ぎこれから登るのか?」と心配になる。いでたちも軽装だ。
聞けば揚梅滝を見に来てそのまま、登って来たと言う。「これから少し登って、谷に下りて帰ると」言う。ところが、そんなルートはない。「登るだけだ」と説明しても「谷に下りる」と言って聞かない。マップを広げて説明するとようやく納得されて、もう少し登ってから引き返すと言う。マップも持っていないのである。
心配しても仕方ないので、下りを続ける。しばらく行くと、犬を連れた人が駆けるように登って来た。昔、どこかの山で猟犬の訓練の人と会った事がある。それ以来のショック。
登山口に近づいてきたところで、揚梅滝との分岐に出る。足は限界に来ていたが、そちらに出る。このルート下りで取るべきではなかった。傾斜はきついし、ハシゴ場はあるわで、大変だった。さっきのカップルがここを引き返したくないのが良く分かった。
しかし、滝は圧巻。
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登山口にたどり着いて、休息の後は舗装路を北小松駅まで下る。北小松駅着が13時45分ごろ。湖西線で一駅先の近江高島に戻る。

かくしてリトル比良もなんとか歩いた。
以前に登っていた時期とあわせて何とか比良山系の主なピークは制覇(?)したことになる。
by garyoan | 2005-06-04 00:00 | 私はやせる