カテゴリ:モルモン教( 70 )

死んでよかった御用学者

モルモン教の宣伝屋、御用学者のヒュー・リブレーが死んだ。
モルモン擁護のろくでもない論陣を張って、それらはことごとく論破されて来て、その稚拙な学説は最後には後輩のモルモン学者にも困った人あつかいを受けていたようである。「Answering Mormon Scholars Vol2」(Jerald & Sandra Tanner)(この点についてはそのうちまとめるつもり)
そのニブレーの生涯の最後は全く惨めなものだった、当時9歳のわが娘に怪しげな宗教儀式のような性的虐待を行ったことを当の娘が著作で暴露したからだ。
マイケル・ジャクソンの裁判を見るまでもなく、性的虐待について現在アメリカは大変厳しい。モルモン教団はこの『功労者』のスキャンダルを必死で無視している。
本人にとっても、教団にとっても死んで良かったのだ。
by garyoan | 2005-03-02 23:20 | モルモン教

異端とカルト、多様化から考える

元記事
異端宗教とカルト宗教とは違う、厳密に言うと宗教カルトはカルト宗教とも違う。元記事記者の沼野治郎は異端宗教容認論を持ち上げて、モルモン教を擁護しようとしている。全くばかげた試みである。
多様化する現代とは価値観の多様化であり、文化がボーダーレスになることである。勢い宗教も変わらざるを得ない。既存宗教も「信者のニーズ」に寄って変わらざるを得なくなって来ているわけだ。(宗教も市場原理が働いているのかも知れぬ)
既存宗教から少し違った価値観を持つ個人や少数派をここでは異端と言うのである。内村鑑三が言う異端もこの意味である。
その一方で団体そのものが、非社会的、あるいは反社会的な「異端集団」がある。現在はそれをカルトと呼ぶ。カルトも確かに宗教の多様化の産物ではある。しかし、その集団は団体主義的であり、マインドコントロールを行い、信者の自由を拘束し、思考も硬直させる。多様化のおかげで出現したカルトは今度は徹底的に画一性を求める。カルトとは多様化の中で生まれた狂った果実なのだ。

モルモン教はまさにこの狂った果実である。
沼野もすこしの思考力が働かせられるなら、こうした現実はわかるはずであり。結局は自分にとって都合の良さげな文章を拾って来て、モルモン擁護を繰り広げるのである。
こうした恥ずかしい事はそろそろ止めた方が良い。
by garyoan | 2005-03-02 23:02 | モルモン教

もうひとつの金科玉条

元記事
沼野が私のトラックバックを一方的に削除した。そこで、再度トラックバックを掛け、メールを出して抗議を行った。何度も述べているように沼野は大学の教員である。教養英語とはいえ、卑しくも最高学府で教鞭を取る者が一方的に議論を回避することはあるべき事ではない。「大学の教員としての資質を問うと」まで当方は述べた。それに対しての沼野の返信がふるっていた。「私の教員の資質が大したものでないことは、学院は知っています。どうぞ問うてください」である。早速、私は所属大学の学部長に対して事情を説明させていただいた。
そうこうするうちにこの記事である。
全く噴飯である。先に高山真知子が沼野にとって金科玉条であると私は述べたが、実はもうひとつの金科玉条がサンストーン誌とダイヤローグ誌である。沼野はモルモン擁護の議論に詰まると必ずこの二誌を挙げる。そしてこういうのである。「モルモン教にも改善する姿勢がある。この二誌に参加する気鋭のモルモン教徒たちがそうだ」と。
そして、あたかも自分もこの二誌に参加する気鋭のようなふりをしているのである。しかし、既に高橋弘氏の著作、論文に対するヒステリックな態度で明らかなように、沼野はモルモン批判に対して、沈着冷静な対応が出来ない。そして、議論をする姿勢もなければ、研究者としての当然の心構えさえ自ら否定しているのである。そんな沼野にモルモン批判者の分析など出来るはずもない。「グループダイナミックス」とタイトルし、「集団内、集団と個人、集団と集団の関係について明らかにしようとするグループダイナミックスや社会心理学が解明してくれるのではないか、と勉強中です。」とは勇ましい限りだが、社会心理学を学ぶつもりが少しでもあるなら、マインドコントロール論を学ぶほうがはるかに有益で、沼野の為にもなる。愚にもつかない、分類をして自己正当化を図ることよりもすべき事があるのである。
又沼野はコメントでこうしたことも述べている。
「私が言いたかったのは、Cのあまりに激しい言動に同じ要素を持つはずのBをAに押し返しているのではないか、という点です。米ではマイケル・クインも被破門者の組織も、Bが主催する催しに席を共にして、真実追求と健全化に努めているようにみえます。日本で穏やかな対話がなかなか出来ない様子を残念に思うわけです。」
これを読んで「なるほど」というものが果たしているだろうか?
沼野は自らモルモン教改革者だとアピールしたいのだが、既に馬脚は現れているのだ。改革者でも、内部批判者でもない。単にモルモンヒエラルキーからはみ出したモルモン研究者と言う肩書きにプライドを賭けている老信者でしかないのである。
by garyoan | 2005-02-27 22:24 | モルモン教

なぜ、切捨てられるか

 沼野治郎と「金科玉条」という言葉とを糸でつなぐと、そこには高山真知子という人物が引っかかって来る、沼野は高山が自身が主催する研究発表会にも招いて講演させるほどののお気に入りである。それは高山のモルモン研究が優れているからではない。「高山研究がモルモンに好意的であるから」だ。
 高山は継続的にモルモン研究をしているわけでもない。アメリカ宗教史、開拓史の研究家でもない。簡単にいくつかのモルモン研究書を読み、自らの宗教観とすり合わせて論文を書いただけなのだ。(高山はブリガム・ヤングについてもたった一冊の書籍を読んだだけで伝記を書いたと言う)
 さて、元記事では「異端と切り捨てずに云々」を「アメリカ宗教のメインストリームとモルモン教」と言う研究参加記から引いているのだが、モルモン教の歴史を学んだものなら、同所でのモルモン教の歴史認識には『?』がたくさん付く代物だ。特に一夫多妻制をアメリカの家父長制の回復運動という見方とはお笑い種である。
 現役モルモン教徒で、大学で英語の教鞭を取る沼野であれば、高山よりも深い知識を入手することは極めて簡単である。わが国最高のモルモン教研究家高橋弘氏の論文を読み、書籍に書評を寄せる沼野である。こうした不十分、正しくない点はしっかりと認識しているはずだ。しかし、沼野(そして、モルモン教)にとっては非モルモンで好意的な視点を持つものが咽喉から手が出るほど欲しいのである。腹の中では肯定的な考えしか認めないが、表面的には公正であると見せたいのである。
 単にモルモン教徒としての評価を下げるのであれば、好きで信仰しているふりをしているのだから、かまわないであろう。しかし、研究者をかたるのなら、最低限の公正さは身にまとうべきであろう
 また、教団自体に歴史に対する公正さがないから、モルモン教は過去には異端として、現在はカルトとして切り捨てられているのである。
by garyoan | 2005-02-19 23:52 | モルモン教

唯一真をやめたのか?

モルモン教が自らの宗教を「唯一真」と言うのはその設立当時からである。そして、その旗は未だに降ろされてはいない。モルモン教信者としての挫折から自分自身が「唯一真」をやめるのは大いに結構なことである。しかし、自分がそうだからと言ってモルモン教がそう言うのをやめたわけではない。「確かにそういう面があったことは否定できない事実」とはなんともとぼけた言葉である。モルモン教は神の言葉として現在も「モルモン教以外は悪魔の教会だ。どこにも属してはいけない」と教えている。この事実はどこに行ったのだろう。
また、記者龍氏は「信仰を持つ人たちにとっては、それぞれの信仰こそ『唯一真』なのだ。」と言う。まじめな信仰とはそのようは排他的なものではない。全く認識不足もはなはだしい。そして最後は「私にとって末日聖徒の教えは自分にとっての『唯一真』」だと言う。
結局は信じ切ることは出来ないが、モルモン教徒である事は捨てきれない。そうした心の葛藤が垣間見れる。しかし、葛藤を超えるための努力はなされない。最後は思考停止である。マインド・コントロールが働いているのである。
by garyoan | 2005-02-15 09:31 | モルモン教

モルモン・プロレスラー列伝(?)

モルモン教徒でプロレスラーといえば日本ではジャイアント・馬場ということになる。馬場は実質は脱会者だった。酒を飲み葉巻をふかす馬場をモルモン教は「背教者」と馬鹿にしていた。しかし、馬場が死去すると一転して「馬場兄弟」と言い出したのは有名な話。信者獲得の為にはなんでも利用したい、有名人は大歓迎というさもしさは全くモルモンらしくて滑稽だった。
ところで、プロレスの本場アメリカでも当然モルモンのプロレスラーがいる。有名なのはブラザー・ジョナサンである。残念ながら戦歴などは不明であるが、その肩書きはずばり『モルモンの殺人者』
よくも、教団がこんな名前を認めたものであるが、ブラザー・ジョナサンの息子もレスラーだった。名はドン・レオ・ジョナサンである。彼は父の称号も受け継ぎ『モルモンの暗殺者』と呼ばれた。その一方で「人間台風」と凡庸な肩書きも受けているが、これはいかにもインパクトが弱い。父と違ってドン・レオ・ジョナサンに関しては戦歴もかなりはっきりしている。故力道山の王座に2度挑戦したことがあるという。私の立場として特筆したいのは1963年にカリフォルニア地区でジャイアント馬場とタッグを組んで戦ったと言う事である。なんと、国境を越えたモルモン教徒同士のプロレスタッグチームが実現していたのである。
下克上、離合集散はプロレス界の常、やがて息子ジョナサンは1970年日本プロレスを来襲、ワールドリーグ戦に出場する。勝ち進み、決勝でかつてのタッグメイト馬場と対戦することになるが、あえなく敗れ去る。当時モルモン教は大阪万博にパビリオンを出し、懸命な宣伝を行っていたのだが、その喧騒の傍らで日米モルモンプロレスラーの対戦が実現していたのだ。
息子ジョナサンの得意技はハイジャックバックブリーカー。これはネットに画像があるが、相手を背中に担いで、自らスピンし相手を気絶させると言う大技である。そしてもうひとつがモルモン・シクル・バックブリーカー。うつぶせに倒れた相手の腰に側面から自らの両脛を押し付け、手で相手のあごと右足首をつかんだうえで後方に倒れ相手を弓なりの状態に持ち上げ腰を痛めつけると言う、これもやはり大技である。

息子ジョナサンの生まれはソルトレークであるが、バンクーバーに居を移し、ダイビングの会社を経営していたと言う。現在の消息が分かればまた知りたいものである。
by garyoan | 2005-02-13 16:25 | モルモン教

ユタのヒバクシャ

全くモルモン教徒の思考回路はでたらめである。
沼野治郎が劣化ウラン弾の危険性という文章を起こしている。

同爆弾が非人道的であると説いているが、それ自体には問題はない。至極当たり前のことである。むしろもっと深く掘り下げた発言が出来ないかとも思うが、それは元より望むべくもないことだ。
むしろ問題は後半である。沼野は言う「昔、ネバダの核爆弾実験場の風下に位置したユタ州セントジョージでも癌が急増したことがあった。米政府など体制側は問題ないとしているが、医師や科学者の声に耳を傾け、すぐにも劣化ウラン弾の使用をやめるべきである」まるでユタ州被爆者住民が被害者であるかのように述べているが、これは正しくはない。このことについては既に私は「アトミックエイジ」(豊崎博光:築地書館)の紹介で述べている。


モルモン教は異端教団の汚名をそそぐために、愛国者として、核実験被害を受けねばならなかったのである。
ユタ住民(モルモン教徒)を被害者としたのは政府だけではない、教団も加害者であったのである。沼野はこれを肝に命じて、所属教団とまじめに対峙すべきである。
by garyoan | 2005-02-06 20:51 | モルモン教

世間の方は良くご存知です

「泡沫の思念」と言うブログに主催者とモルモン宣教師との出会いが語られています。
「モルモン教徒の声掛けに会う。これを毒電波と言わず何という」と言う記事ですが、モルモンの教えを一般人は々受け止めているか、余すことなく語られています。

 アメリカ原住民がイスラエルの子孫ではなく、モンゴロイドであること。
 金版の重さの問題。

 そして、人種差別の問題。

「本物の電波とばしてるよ」と言う筆者の言葉は全く当を得ていますね。
モルモン教徒は「自分たちが恥ずかしい事を信じこんでいる」と認識すべきです。
by garyoan | 2005-02-02 14:06 | モルモン教

モルモン歴史学会?

モルモン教徒沼野治郎の話題の続きである。沼野は昨年ユタで行われた「モルモン歴史学会」に出席し日本人で唯一発言の機会を持ったと言う。

実は、沼野はこの発表前に私に取材を求めて来た。私は沼野の研究姿勢には問題があると思っており、取材は断るつもりであった。沼野が批判してていたモルモン研究者からも応じない方が良いとの助言を受けた。
それは、沼野に話すことは都合よく歪曲され、利用されることは必至であるからである。それは私も分かっていたが、結局、私は取材に応じることにした。ただし、私は沼野の「聞きたいこと」には極力応じぬようにし、返って沼野のモルモン教に対する姿勢、モルモンの歴史についての姿勢についてこちらから問うように勤めた。そして、沼野が取材結果をゆがめている事実が出た時には、厳しく指摘することにしていた。
取材中、予想されたことではあったが、彼は既にモルモン信仰を喪失していること、知恵の言葉などのモルモン戒律を破っていることがはっきりした。しかし、彼はなおもモルモンにとどまると言う。「(無邪気に)信じている人間の信仰を事実を伝えて踏みにじれない」と沼野は言った。そのためモルモンの問題点について今後もヒントを与え続けて生きるとも言った。
しかし、これは口先だけのことだったと私は沼野の今回のモルモン歴史学会の記事を見て思う。沼野は記事でどう言っているか。彼のブログから引用する。なお沼野の記事はこちらでも読める。

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最近は収束(?)

 最近数年は、上記のようなサイトの性格が、インターネット利用の教会員に衆知されたためか、従来の反モルモン的文書に対するのと同様、当初のような著しい動揺や教会離反の話は聞かれなくなっているようである。ただ、インターネットの検索で上記のようなサイトを目にする人はその後もあると思われる。また、学究的モルモン史の知識を得ても、宗教実践・教会生活と教会史とを分けて受けとめ、教会に留まる人が出始めている。
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沼野はやはり私から聞いたことは一切触れず、自分の都合の良い話しだけをしている。といっても、私からは多くの情報が取れなかったというのが本当なのだ。実際のとことは、モルモンからの脱会者は日ごと増加し、脱会者への賛同も増加している。むしろ終息しつつあるのは日本のモルモン教の方である。沼野はこの学会で自分の希望的空想を述べたに過ぎないのだ。
そこまでして、信仰もないモルモン教をかばう姿に私は滑稽さを超えて恐怖を感じる。マインド・コントロールの恐ろしさである。
ところで、「モルモン史の知識を得ても、宗教実践・教会生活と教会史とを分けて受けとめ、教会に留まる人」について、私は「事実を知ってもなおモルモンでいるのは、マインド・コントロールの所以である」と明言している。「所詮、カルト宗教に歴史はない。歴史学を語ることは出来ない」とも言った。沼野は答えなかった。答えられなかった。
沼野を含めてモルモン教徒のほとんどがいつもそうであるが、こうした本質に入る議論では思考が停止する。巧みに回避して、思考が臨界点に来ないようにする。
先に述べたモルモン研究者が沼野についてこう語った。「沼野は日本のモルモン教徒としてのモルモン研究者の立場がほしいのだ」と。的を射て余りあると思う。沼野は既にモルモンの本流から離れ、モルモンヒエラルキーでの出世は絶望である。そんな沼野にとって日本人モルモン唯一の「モルモン研究者」というポジションは最後のプライドなのだ。そう考えてくると、沼野が信じてもいないモルモン教に執着する理由、他の研究者にヒステリックになる理由が見えてくる。
私たちにとっても沼野治郎と言うモルモン教徒はカルト被害者を考える上で非常に興味深い事例でもある。
by garyoan | 2005-01-30 07:09 | モルモン教

「素顔のモルモン教」書評のでたらめ

モルモン教徒で大学の教員の沼野治郎が自ら発行していた機関誌「モルモンフォーラム」
の中の記事の一部をモルモン擁護者のサイトにアップしている。
この記事の中に
推断と「今は昔」の内容・・「モルモン教と暴力」  (著者高橋弘、国際基督教大学「キリスト教と文化」26、'94年8月)  
という論文への批判記事があるのだが、この記事に関しては私が自分のサイトにコメントを書いている。

この沼野という人物はリベラルモルモンを気取っているが、モルモン教の真実が他人からさらされるのを嫌悪する性格のようで高橋弘教授が「素顔のモルモン教」を書いた時も、ヒステリックな書評を寄せている。
今回、「素顔のモルモン教」が再版されたが、高橋教授は沼野の書評に対して以下のように述べている。

(引用開始)
「モルモン・フォーラム」誌で、沼野治郎氏(当時、徳山大学教授)は高橋弘著『素顔のモルモン教』をとりあげ、これが悪意のある意地悪な書物であり、著しく批判的で偏向した暴露本だと結論づけている。著しく偏向した書物である証拠として、近年になってミズーリー州知事クリストファー・ボンドがかつての「モルモン教徒追放令」を謝罪した事実を述べるべきで、そうした事実を無視していると書いている。しかし、これは誤読に基づく言いがかりに過ぎない。事実、高橋は『素顔のモルモン教』146頁に、その事実に言及し、モルモン教会にたいしても公平を期している。(ただ、こうした沼野氏の書き方からすれば、彼は『素顔のモルモン教』を読んで、モルモン教徒としての立場からこれを読み、一時的にせよ、驚きとショックで完全に理性を失っていたと思われる。)
『素顔のモルモン教』で高橋が目指したことは、できるだけ客観的な視点から、モルモン教会の歴史を記述することであった。信仰というフィルター(色眼鏡)をかけた人間は、実際の出来事を、ある特殊な先入観からのみ解釈する傾向がある。そこに信仰的な意味を読み取ろうとするからである。
 したがって、使用する文献にも高橋は細心の注意を払ったつもりである。使用した文献は、沼野氏が指摘する、いわばモルモン教の敵・批判者のものを中心に用いた訳ではない。注意深い読者なら、高橋が用いた文献の八割方がモルモン教徒、あるいは元モルモン教徒のものであることに気づいたはずである。成功したかどうかを別にして、少なくともこの本を書くときに気をつけたことは、①バランスの取れた記述をすること、②そしてモルモン教に対する批判を述べるときも、実際にモルモン教徒の方々が認めている批判を載せるように試みたこと。また、モルモン教会を賞賛するときは、外部の人間が認めている賞賛の声を反映するように試みたことである。③また、モルモン教徒やモルモン教会の「途方もない発言」や「根も葉もない主張」にたいしては、客観的な事実をつきつけるよう試みた。
(引用以上)

高橋教授は沼野の本質を見抜いている。沼野だけではない、モルモン教徒にとっては信仰の保全が第一であり、それを失うことはアイデンティティの崩壊を意味する。批判もほどほどでとどめてもらわないと困るわけだ。だから、敏感に反応する。自己制御装置が作動するのである。
しかし、この自己制御こそがカルト宗教信者の特徴のひとつなのである。
by garyoan | 2005-01-27 07:02 | モルモン教