27日(もう明日だが)山行のために早朝タクシーを頼むことにした。
始発電車に間に合わせるためである。電鉄会社直営の地域では最大手のHタクシーに電話をした。住所を伝え、 「5時17分の電車の間に合わせたいので、それに合わせて迎えに来て欲しい」 と言うと、 「ぎりぎり、間に合うと思いますわ」 と言う。何を言っているのか分からない。こちらがは余裕を持って仕度すれば言いだけのことなのだが、 「何時に来てくれるの?」 尋ねると、 「まあ、間に合うと思いますよ」 と言う。ますますわけが分からない。詳しく聞くと、結局のところタクシーの出動時間が午前5時からで、その時間に営業所を出て、こちらに向かうので「ぎりぎり」と言うことのようだ。だったら、最初からそれを言え!! 「そんなんやったら、結構ですわ」 怒って電話を切った。 思い出せばこのHタクシー(念のため言っておくが人気球団を保有している会社の方ではない)、昔から融通が利かなかった。私が働いていたホテルがこの会社と契約を結んでたのだが、深夜早朝の迎車には全く対応してくれなくて困った。 宿泊客が早朝チェックアウトでタクシーを依頼されても「その時間はいけません」で終わりである。無線センターも早くしまっていた。深夜タクシーで帰宅しようとしてタクシーを手配しても「営業は終了しました」の留守番コールが流れる。 新婚さんが2次会3次会で遅くなり、ホテルに帰って来る。明日は早朝に空港に行って新婚旅行に出かける。フロントでモーニングコールとタクシーを頼まれる。ところが、タクシーの手配がつけられないのだ。 結局、他のタクシー会社に依頼することになる。関協タクシーには特にお世話になった。厳しい時間の配車ばかりをお願いしていた。しかし、契約外のタクシーを呼んでいることが上昇部にバレると大変だ。「宿泊課はなに勝手やってるんや!」となる。お客様の都合など無視である。「そういうケースではお客さんが勝手に呼べば良い、電話番号ぐらいは教えてやれ」と言うのである。 全くアホな話しである。 もっともそれからは上層部に向かって「ああ、あのタクシーですか。お客様が勝手に呼ばれたのでしょうねえぇ」と言う言い訳が横行したが。 もう一社無理の利くタクシー会社があった。それはH電鉄系のHタクシーではなくて、Hバス系のTタクシーだった。 こちらも大変融通が利いた。同じHグループでもずいぶんな違いである。会社の規模もずっと小さいのでそのぶんがんばらないといけないのだと言っていたが。 そんなわけで電話を切ったあと、Tタクシーに電話した。 「じゃあ。5時でよろしいですか。マンションですね。下で待っててくださいな」 と、あっさり予約完了。 で、今朝(26日)のことである。さっき電話がかかって来た。 「Tタクシーですが、ご予約の時間ですよ」 と、 「ええ?!27日、月曜日で予約してるんですが!!」 と、慌てる。向こうが手配ミスしたようだ。しかし、Hタクシーの対応が悪かったせいで、かえってこちらが恐縮してしまった。
少し前、とあるリゾートホテルに住み込みで働いていたことがある。
私のほか数人が使用されていない客室に寝泊りしていた。 仕事が終わると毎夜のようにどこかで「お疲れさん」と言って酒盛りをやっていた。 ある晩、疲れて早めに寝込んでいた私に隣の部屋から内線電話が入った。 隣の部屋には別のマネージャーが住み込んでいたのだが、電話は女の声。 「寝たんですかぁ」 とろれつの回らない声で言う。 誰?ああ、フロントの女の子だ。またやっているのか。既に良い調子のようだ。 「今日はエエわ」 と、断ると。 「なんで?『寒中梅』ありますよ」 と、言う。 毎夜毎夜の酒席とはいえ地酒があるとは珍しい。地酒大好きなのだが、寒中梅は飲んだこともなかった。これは飲んでおきたい。 がんばって、起き上がって、着替えて隣の部屋へ。 「来た。来た」 と、一同無邪気に喜んでいる。 お目当ての地酒を捜す私だが、どこにも見当たらない。 電話を架けて来た女の子が手にしているのを見ると、「缶チューハイ」が。 寝ぼけて聞き違えたのだ。しかし、いまさら言えない。 缶チューハイを「ありがとう」と受け取ってありがたく頂戴した。 酒屋に並んだ寒中梅を見て、ふと思い出した話。 神戸の元町まで仕事で出向いた。(最近神戸方面がつづくなあ・・・)南京町を歩いてみようかとも思ったが、次の予定が詰まっていたので、あきらめた。 でも、赤萬には立ち寄って、生餃子を買った。 間もなく今夜のおかずで出てくる予定だ。 赤萬を教えてくれたのは、大学を出て就職した先の会社の上司だった。 私は大阪市内在住だったが、神戸に配属された。どうもその理由が阪神神戸の採用枠が足りなくて、一番梅田大阪駅に近い私を神戸に持って来たということだったようだ。 神戸支社は高速神戸駅前にあって、私は阪急電車の特急で通勤。私の営業テリトリーは尼崎だったので、朝礼を終えると、大阪方面にとって帰す。夕刻までみっちり営業して、再び高速神戸へ、残務を終えると、阪急電車で梅田の自宅へ・・・。 今思うと全く無駄なことをしていたものだと思う。 赤萬の餃子はあの頃から変わらない。震災で一時しまっていたと聞くが今も元気で営業している。三宮、元町に行くと必ず買って来てしまう。
「吉田カバン」の偽物販売 韓国から輸入の親子逮捕
テレビでこの容疑者が引っ張られて行くシーンを見た。 ひょとしてあんな風に自分が映っていたかもしれないと思うと、ちょっと背筋が寒くなった。 テレビでは吉田ブランドのエンブレム(?)が別に置いてあるところが写っていた。 普通のノーブランドのバッグで輸入して、国内で縫い付けていたのだろう。 定番のごまかしだ。 そろそろ、仕事の話を再開して行こう。 海外のキャラクターグッズの「並行輸入」についても面白い話題がある。 それは次回にて。
イタリア在住のエージェントがいた。日本人だが本場アルプスにあこがれて住みついたと言う。仕事の合間にトレッキングを楽しむという粋人だった。そんな彼が取り扱っていたのは、イタリアのブランドバッグ(主にP)の「平行輸入」だ。
彼が言うにはP社はイタリア各地に下請工場を展開していて、その下請工場にコネがあり、直接商品を引いて来れる、と。確かにブランド品としては信じられないくらい格安であった。 しかし、たとえ工場から直(ちょく)であったとしても、P社の検品も受けない商品が、本物とはいえないだろう。また、不思議なことにこれらにはプラスチック性のギャランティーカードが発行されているのだ。ただ、このギャランティーカードはバッグについて輸入されてくるわけではない。 まず、イタリアからバッグが送られてくる。空輸である。空輸の方が通関が甘いからこれだけは飛行機で来ると言ううわさもあった。インボイス(送り状)には単にバッグとしか記されていない。Pの商品を示す記述はない。もちろん、箱の中身はPのロゴマークの入ったバッグ、財布でいっぱいである。それに前後してギャランティーカードは、別にエアメールでこちらの担当者宛てに送られて来るのだ。 Pが入荷すると、前のVの時と同じような作業が本社で始まる。会議室で商品を振り分けるのだが、これに「ギャランティーカードを入れる」と言うひと手間が増えるわけだ。 そして、各店舗にこの「平行輸入品」は運ばれて行き、信じられない安い値段で陳列されるわけだ。今、思うと安値で売っていたことが、せめてもの慰めである。 さすがに耐久性も低い。壊れると、店に修理を依頼しに来る。そんなことに対応できる体制はない。上層部から言われていたことはこうだ。 「修理はできない。どんなに古いものでもかまわない。新品と交換しろ。その方が喜ばれる。代替品がないなら、購入価格で返金しろ」と。 たまに店にもって来ずに、正規品取扱店に修理に行かれるお客さんがいる。もちろん、ギャランティーカードも持って。 正規品を取り扱っている方々には一目両全だ。カード自体でも簡単に判別されてしまう。これはP社のものではない。偽ブランド品だと断言され、修理は断られる。怒ったお客様は店に文句を言って来ることになる。店の人間はこう答える。 「平行輸入品ですから、修理を渋るのでしょう」と。 そして、新品をお渡してその場を収めるのである。 ここで、P社などの高級ブランド品の会社の名誉のために言っておかねばならないが、平行輸入品であっても本物であれば、保証、修理はきっちり対応してくれる。 私が退職して数ヶ月の後、会社のウエッブサイト内のBBSで、ブランドに詳しい人からニセブランド疑惑が指摘され、大問題となった。その方が 「疑惑を払拭したいならインボイスを公開せよ」 と、至極まっとうな意見を出されたが、会社は当然のようにこれを無視。しばらくしてBBSは閉鎖された。それからいつの間にかPの取り扱いは終了した。 単に自粛したのか、あるいは当局の手が入ったのか、それは分からない。 私も退職してから、思い返して「やはりあれはおかしかった」と気づいて行った。言い訳ではあるが、それだけ仕事は絶対だったのだ。
「ホテル行って、取って来ましたよ」
堺にある店の責任者から、電話が入る。 その店はアジアの某国の航空会社のクルーが宿泊するホテルの近くにある。クルーは関空行き便に乗務する時、ある人物から荷物を渡される。その荷物はクルーの個人的なものとして、日本に持ち込まれる。ホテルに到着したクルーは渡された電話番号に電話を架けると、堺の店に繋がる。 「**さんから、預かっています」 堺の店の責任者はホテルに出向き、その荷物を受け取って来て、冒頭の私への電話となるわけだ。 私は社内便で荷物を本社に送るように指示する。乱雑にしかし厳重に厚手の紙に放送された荷物が到着すると、会議室に同僚部下を集めて荷物を開封する。中身はイタリアのブランドV社のネクタイである。それがどうしてアジアの国から入ってくるかは、読者の想像のとおりである。 柄に従って分類し、全く意味のない検品をし、店舗に振り分け、発送する。当然、信じられないような安い値段である。値段を見ればだれも本物とは思わないだろう。それが良心の呵責を耐える言い訳になる。 単に商品がパチものと言うだけではない。航空会社のクルーの荷物を悪用した立派な密輸である。これを現場で手配していた人物は現地では有名な日本人だという。 私が部署を離れてしばらくして、このブランドは店頭に並ばなくなった。それがどうしてかは詳しくは分からない。しかし、この会社は正規代理店、ブランドの在邦オフィスなどからマークされていたことは間違いない。 次回はイタリアのブランドPについて書く予定。
「なんかこんな人が来てますよ」
受付を兼ねた総務の女性社員が名刺を持ってきた。「裁判官」とか「判事」とか書いてある。「なんのこっちゃ?」対応に出ると、会社の輸入品(ブランド品)を調べたいと言う。居並ぶ弁護士たちも次々と名刺を差し出す。後の方で名刺を出さずに黙って厳しい目でこちらを見ているのは正規輸入元の会社の社員さんだろう。 「既に通知済みですのでご承知ですね?」と言う。聞いてない。こうしたことは専務の担当だが、朝から外出している。なんと社長以下常務まで全員外出している。文書を受け取っているはずの幹部連中は黙って遁走しているのだ。私に任せるなら、任せるで事前に話しておいて欲しかった。 証拠を集めるために事務所の一角か部屋を借りたいと言う。総務に話して急遽会議室を空けてもらう。コピー機が持ち込まれ、私は裁判官から協力をするように強く求められた。会社が販売する「並行輸入」の衣料品の写真を見せられ、現在の在庫と販売数、上がった利益のわかる資料を提供しろといわれた。 通常業務は全てストップ私も部下も対応に追われる。これを出すと次はこれと容赦ない。在庫の台帳を見ていた正規輸入元さんが、小さく声を挙げた。 「これも入れてるんか?!」 弁護士が来て、なにやら話し、それからその商品のデータの提供も求められた。 叩けば埃がでるとは言うが、叩くまでもなく近寄れば埃まみれの体だ。 私の方も幹部の態度が面白くないので、かなり積極的に書類を提供した。もとより怪しげな「平行輸入品」には反発もあった。 夕方には一同は帰って行った。その日予定の仕事は全く出来なかった。 それからしばらくして専務が帰社。報告に行くと 「あんたには言ってなかったかなあ」 とのこと。めちゃくちゃ腹が立った。 幸い裁判所には呼ばれなかったが、しばらくして、当該商品を破棄するように命令が来た。その破棄の指揮をしたのも私たちだった。
私は以前、小売業の会社に勤めていた。(一応上場企業)そこで私は店舗責任者と、本社の貿易担当部署にいた。
最近その会社のオーナー会長が替わった。別の小売業に株式を売却し子会社化したのをきっかけに辞めてしまったのだ。そこは典型的な同族会社で会長が父親、息子が社長と取締役、娘婿が部長と言う体制だった。もちろん株の半分以上は一族が保有していた。しかし、父親の会長のワンマンぶりは息子たちふたりにもいかんなく発揮され、息子たちも父親の専横にはしばしば辟易していた。 とにかくとんでもない会社だった。休みはあるが取れない。寝る時間まで規定される。パートタイマーの社会保険など希望者限定と称してなるべくかけない。若手社員は昇格をちらつかせて、どんどんサービス残業させる。一日12時間勤務など短いほうだ。フルタイムと言って、午前7時から午後10時までの勤務もさせる。その回数が手柄になる。配置人員も最小限を越えていた。その気になった万引ならいくらでも取り放題だ。 管理職をヒラに降格させたり、北新地で見つけた女性を翌日社員に採用(その給与も勝手に決められる)など日常茶飯事だった。 今でも思い出すのは、突然のボーナスのカットだ。そのころ全店平均売り上げは好調であった。それが突然、ボーナスの10%を自社でしかつかえない商品券で発行するという実質カットの宣言をした。全店会議の際に『今ひらめいた』と言ってその場で決定したのだ。というか、本人に言わせるとカットではない。「愛社精神があるなら、買物はうちでするのだから現金と一緒。そして、買物は売り上げアップにつながるから、返って得するくらいだ」と大真面目でぶっていた。経理部長が頭を抱えていたのを思い出す。課税がややこしくなるからだ。 私の担当する輸入品の仕入れもすごかった。会長は現金を持って海外に行って、その場でばんばん買い付けてくる。何をいくつ買ったかは、荷積みのFAXが来るまで分からない。はっきり言って権利関係などで輸入してはならないもの、売ってはならないものもあった。しかし、それをごまかして店頭に並べないといけないが社員の仕事だ。 所詮、思いつきで買ったものだ、国産品と違って売れない輸入品は在庫として貯まる。それを資産として計上させるが、価値のあるものは少ない。監査法人は処分せよ、と言ってくる。経理部長も言ってくる。誰に?もちろん、会社のトップでなく、私にだ。私はおそるおそる進言する。結局、そうしたことが逆鱗に触れて私は退職することになった。 その後、娘婿が退職、続けて下の息子が退職した。上の息子である社長も退職した。そのこと、株の多くは別の小売業の会社が保有することになっていた。そして、この12月ついに会長自身も会社を去った。 私は友人と「最後は会社を売り抜いて、自分らだけが美味しい思いいするんやろうな」と噂していたが、現実となった。社長にはあの頭を抱えていた当時の経理部長が就任した。 そして、過酷な労働を毎日続けている、社員とパートさんたちはそのまま残された。この会社、店舗は今後どうなるのだろうか。 このシリーズしばらく続きます。 < 前のページ次のページ >
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