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死んでよかった御用学者

モルモン教の宣伝屋、御用学者のヒュー・リブレーが死んだ。
モルモン擁護のろくでもない論陣を張って、それらはことごとく論破されて来て、その稚拙な学説は最後には後輩のモルモン学者にも困った人あつかいを受けていたようである。「Answering Mormon Scholars Vol2」(Jerald & Sandra Tanner)(この点についてはそのうちまとめるつもり)
そのニブレーの生涯の最後は全く惨めなものだった、当時9歳のわが娘に怪しげな宗教儀式のような性的虐待を行ったことを当の娘が著作で暴露したからだ。
マイケル・ジャクソンの裁判を見るまでもなく、性的虐待について現在アメリカは大変厳しい。モルモン教団はこの『功労者』のスキャンダルを必死で無視している。
本人にとっても、教団にとっても死んで良かったのだ。
by garyoan | 2005-03-02 23:20 | モルモン教

異端とカルト、多様化から考える

元記事
異端宗教とカルト宗教とは違う、厳密に言うと宗教カルトはカルト宗教とも違う。元記事記者の沼野治郎は異端宗教容認論を持ち上げて、モルモン教を擁護しようとしている。全くばかげた試みである。
多様化する現代とは価値観の多様化であり、文化がボーダーレスになることである。勢い宗教も変わらざるを得ない。既存宗教も「信者のニーズ」に寄って変わらざるを得なくなって来ているわけだ。(宗教も市場原理が働いているのかも知れぬ)
既存宗教から少し違った価値観を持つ個人や少数派をここでは異端と言うのである。内村鑑三が言う異端もこの意味である。
その一方で団体そのものが、非社会的、あるいは反社会的な「異端集団」がある。現在はそれをカルトと呼ぶ。カルトも確かに宗教の多様化の産物ではある。しかし、その集団は団体主義的であり、マインドコントロールを行い、信者の自由を拘束し、思考も硬直させる。多様化のおかげで出現したカルトは今度は徹底的に画一性を求める。カルトとは多様化の中で生まれた狂った果実なのだ。

モルモン教はまさにこの狂った果実である。
沼野もすこしの思考力が働かせられるなら、こうした現実はわかるはずであり。結局は自分にとって都合の良さげな文章を拾って来て、モルモン擁護を繰り広げるのである。
こうした恥ずかしい事はそろそろ止めた方が良い。
by garyoan | 2005-03-02 23:02 | モルモン教