<女子高生監禁>逃亡図られ手錠を購入
「王子様」についで「手錠男」。 ![]() 監禁事件が連続したが、朝の報道番組で紀藤弁護士が卓見を述べていた。監禁とは別に最近多発したものではなく、法整備によってようやく明るみに出たものであると。紀藤弁護士は家族でもこうした監禁はありうるし、起きているとも言った。 全くその通りだと思う。表現の過激なアダルトビデオや手錠が犯罪を助長したと言う点を問題として、それらの規制を求める声が大きい。この意見自体には意味もあろうし、必要な規制は進めるべきだと思う。しかし、それらが原因の全てではないし、それらを規制することが最善の解決でもない。 問題は「監禁」とは何かだと思う。茨木の少女は何度か逃げようと試みていたと言う。だから手錠を使用したと報道されているが、私には少女が逃げないためというよりも、そばにいて欲しいがための措置に思える。手錠以上に強い拘束力があっただろうと思う。 それは「王子様」の場合でも同様だ。監禁対象者に「逃げられない」「逃げても無駄」「逃げると後が怖い」「逃げ戻っても家族にあわせる顔がない」と言った心の拘束が加えられていたことは想像に難くない。この場合は男女間の個々のケースだが、カルト宗教ではこうした心の拘束は日常的だ。所謂、マインドコントロールである。このふたつの事件はマインドコントロールに通じるものがあると私は感じている。 手錠はなくても、「君の前には見えない壁がある」と信じ込ませれば、だれもそれを破ろうとはしなくなる。逆に「君にはガラス抜けの能力を与えた」と信じ込ませれば、ガラスを突き破って行くだろう。これらは手錠を使うよりももっと洗練されていて、高度である。単に拘束、監禁に甘んじるだけでなく、積極的に「主(あるじ)」のための御用を果たすようにもなっていくだろう。それはオウムやモルモン教の例を見るだけで明らかである。 だからと言って「手錠の監禁を可愛いものだ」などというつもりはない。真に人を拘束するものは何かを議論しないといけないということだ。正しい理解で使用されているかどうかは別にして、マインドコントロールという言葉は定着した感がある。それを学習してはどうだろうか。元カルト信者として、相当に有益だと思うのだが・・・。
by garyoan
| 2005-05-17 22:47
| モルモン教
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