首相「靖国参拝は信条」 中国に不快感、継続示唆
昨日、車の中で国会論戦を聞いた。民主党の岡田代表が小泉首相にヤスクニ問題で迫っていた。最初岡田代表は「内政干渉とはなにか?」を小泉首相に問うた。首相はその後の詰めが予想されたのであろう、「内政には国家によって色々定義がある」と逃げた。岡田氏は「内政ではない『内政干渉』を聞いている」と執拗に迫った。根負けした首相は「内政干渉にも定義はない」というようなことを答えてしまった。そこにまってましたとばかりに岡田氏は公的に認められた内政干渉の定義を出し、首相の不明を指摘した。 それから、ヤスクニ参拝に対する外国の批判は内政干渉に当るのかどうかを迫って行った。結局、「他国のヤスクニ参拝批判は内政干渉に当らない」という言質を取ってしまった格好になった。 日本国内の政治家の靖国神社参拝を他国が批判することは内政干渉である、とする見解は田原総一郎氏も採っており、その考えには一理あるとは思っている。しかし、首相はさしたる反論もせずに(出来ずにと言うべきだろう)いともあっさりと言質を与えてしまったのだ。これで今後は他国からヤスクニ問題でやいやい言われても「内政干渉」を理由にした反論は困難になってしまった。 全ての面においてそうだが、小泉首相は理屈ぬきが多すぎる。それでいて「なんで分からないのだ」と、憮然としている。滑稽に見えて仕方ない。 さて、論戦は続く、東京裁判に関しては「受諾しており、異議を唱える立場にない。(A級戦犯は)戦争犯罪人と認識している」と首相は述べた。そういわざるを得ないだろう。同裁判を認めたサンフランシスコ条約から、日本復興ははじまり、その政権の延長線上に現総理もいるからである。そこで「A級戦犯のために参拝しているわけではない」と言う言い訳をしたのだが、これは「罪を悪んで云々」と言う少し前の威勢のよさからは後退している。言葉が軽い。 岡田代表の、ヤスクニはA級戦犯を「昭和の受難者」として祀っているのであるから、平和を祈る場としてはふさわしくないと言う指摘も正鵠を射ている。ヤスクニはいち宗教団体、宗教法人に過ぎず、信教の自由として戦犯を祀る自由が認められているに過ぎない。ヤスクニの教義を個人が信じるのは自由であるが、そうなると当然、それを批判する自由も生まれる。ますます、内政干渉という定義は成り立たなくなる。 また、首相としての立場での特定の宗教活動は法で禁じられている。だから「首相の職務としてではなく、わたしの信条から発している参拝に他の国が干渉すべきではないと思っている。心の問題だ」と言うのは当たり前のことである。しかし、それならばいちヤスクニ信者として堂々と神学論争をすれば良いだろう。 私に言わせれば、信仰の問題は人生の最大事であるから、論戦の中で岡田氏が「(国益を棒に振ってまで)参拝したければ総理を辞めれば良い」と言うのもうなづけるところである。 ちなみに首相らヤスクニ参拝肯定派は、ヤスクニ参拝を非難しているのはアジア諸国だけだと言いたげであるが、実際は日本国内にも反対、不快派は多数いるのである。ここらへんを見ると、議論は下手だが、策略はたくみなようだ。中韓両国も馬鹿正直に真っ向から非難しすぎる。「日本国民の多くも快く思っていないのに・・・」と言う論調で、日本国内世論を巻き込むべきだ。中韓両国も下手を打っていると思う。 しかし、信仰って宗教施設に行って礼拝しないと成り立たないものか? 平和を祈念するためにわざわざどこかの施設(この場合は靖国神社)に行く必要があるのだろうか?このこと自体が全くのナンセンスであろう。
by garyoan
| 2005-06-03 16:26
| 酔郷から
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