モルモン教徒でプロレスラーといえば日本ではジャイアント・馬場ということになる。馬場は実質は脱会者だった。酒を飲み葉巻をふかす馬場をモルモン教は「背教者」と馬鹿にしていた。しかし、馬場が死去すると一転して「馬場兄弟」と言い出したのは有名な話。信者獲得の為にはなんでも利用したい、有名人は大歓迎というさもしさは全くモルモンらしくて滑稽だった。
ところで、プロレスの本場アメリカでも当然モルモンのプロレスラーがいる。有名なのはブラザー・ジョナサンである。残念ながら戦歴などは不明であるが、その肩書きはずばり『モルモンの殺人者』。 よくも、教団がこんな名前を認めたものであるが、ブラザー・ジョナサンの息子もレスラーだった。名はドン・レオ・ジョナサンである。彼は父の称号も受け継ぎ『モルモンの暗殺者』と呼ばれた。その一方で「人間台風」と凡庸な肩書きも受けているが、これはいかにもインパクトが弱い。父と違ってドン・レオ・ジョナサンに関しては戦歴もかなりはっきりしている。故力道山の王座に2度挑戦したことがあるという。私の立場として特筆したいのは1963年にカリフォルニア地区でジャイアント馬場とタッグを組んで戦ったと言う事である。なんと、国境を越えたモルモン教徒同士のプロレスタッグチームが実現していたのである。 下克上、離合集散はプロレス界の常、やがて息子ジョナサンは1970年日本プロレスを来襲、ワールドリーグ戦に出場する。勝ち進み、決勝でかつてのタッグメイト馬場と対戦することになるが、あえなく敗れ去る。当時モルモン教は大阪万博にパビリオンを出し、懸命な宣伝を行っていたのだが、その喧騒の傍らで日米モルモンプロレスラーの対戦が実現していたのだ。 息子ジョナサンの得意技はハイジャックバックブリーカー。これはネットに画像があるが、相手を背中に担いで、自らスピンし相手を気絶させると言う大技である。そしてもうひとつがモルモン・シクル・バックブリーカー。うつぶせに倒れた相手の腰に側面から自らの両脛を押し付け、手で相手のあごと右足首をつかんだうえで後方に倒れ相手を弓なりの状態に持ち上げ腰を痛めつけると言う、これもやはり大技である。 息子ジョナサンの生まれはソルトレークであるが、バンクーバーに居を移し、ダイビングの会社を経営していたと言う。現在の消息が分かればまた知りたいものである。
by garyoan
| 2005-02-13 16:25
| モルモン教
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